いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

28回目の月命日

2年と4ヶ月、経ちました。


28回目の月命日です。




正直もう、慣れたものです。


お花は新しいのに取り換えたし、


今回はお菓子のお供えはしないけどまぁいいか。


「私、太っちゃうからなぁ。」と、お供えを下げた後のことを考えてしまって、


仏様にお供え物をするには、あるまじき打算です。(旦那さん、ごめんちゃい。)


でも今日もちゃんとお線香焚いて、チンして手を併せて、


長い事お祈りしましたよ。




2年と4ヶ月。


この部屋に一人で住んでいることも、まるっきり普通の事になりました。


このアパートなんて、引っ越して来て9ヶ月目に死んじゃったから、


もう、ひとり暮らしの時間のほうがずっと長いです。



旦那さんが死んじゃって、


最初のうちは、


しばらく一人暮らしなんてしたことなかったから、いろんなことが不安だったけど、


だんだん時間が経つごとに、


「なんとかなるさ」という感覚が大きくなり、


今ではだいぶ度胸が据わってきました。





旦那さんが亡くなって、いろんな感情があったけど、


…例えば、辛さとか、悲しさとか、不安とか、寂しさとか、苦しさとか、わびしさとか、虚無感とか。


その他諸々、言葉で言い表せないような感情もあったけど、


激情は、月日と共にだんだん治まり、


今の時点で残っているのは、私の場合、寂しさです。




これは、ある程度時間が経ってくると、皆さんそうなのじゃないでしょうか。


悲しさって、最初のうちは一番大きいけど、


私の場合は、愛する人の死を受け入れることで、少しずつ少しずつ小さくなりました。


(その過程でとても大きく影響したのは、このブログです。


爆発する感情をこのブログにぶつけるように書き留めて、


皆さんに読んでいただくことは、


私が旦那さんの死を受け入れるためのすごく大きな助けになりました。謝々。)




わびしさや虚無感も同じです。


最初のうちは、この部屋に一人でポツンと座っていると、


どうしようもない激情に、呼吸が浅くなったり死にたくなったりしたけれど、


いつごろから無くなったかなぁ。


今、そういう感情はほとんど出て来なくなりました。


(ここに書くまで、しばらくすっかり忘れてました。)





だけど、寂しさはね。


私の場合ですけど、


そうそう簡単には無くならないようです。


以前ひとりで暮らしていた頃は、何も感じなかったけど、


今は、私、知ってるから。


二人で暮らしていた頃の楽しさとか喜びとか、満たされた感じとか、知ってるから。




だから、そうそう簡単には無くならないし、慣れることはできないんだろうと思います。


甘い汁、知っちゃったから、こればっかりは仕様がないんでしょうかね。


だからこの先もずっとずっと、


小さくはなるかもしれないけど、ずっとずっと死ぬまで引きずるんじゃないのかな。

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