いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

嘘をつくの、うまくなったなぁと自分で思う。


つい何日か前に「ほんとうはね。」の記事で、すぐばれるウソをつく…と書いたばかりなんだけど、


その後、ちょっとは成長したみたいだよ。


たぶん、今日ついた嘘は誰にもバレてないと思います。





…こんなこと書くと、私さんざん嘘ばっかりつく  ”大ウソつき” だと思われそうだけど、


決してそんなことはないんですよ。


今日お話ししたい ”嘘" は、どちらかといえば社会的な嘘…とでもいったらよいのか。


つまり先日書いた、自分を守るためにつくウソ(子供のつくようなウソ)…と言う意味合いのものではありません。




人への恐れや不信感から発する、自分を守るためにつくウソは、どちらかというと積極的につくウソではなく、事実を隠すウソ、真実を言わない…という意味合いが強いです。


それに対して今日お話しする嘘は、少なくとも私は、つくときはかなり積極的に嘘を言葉に出します。




例えば、特に日本社会にありがちなのが、相手への忖度のためにつく噓、


知っていて知らないふりをするとか、


または、そんな嫌らしい嘘でなくとも、


普通に、相手への思いやりでつく嘘…というのがありますよね。


そういう嘘の話です。





やっぱり私も少しは大人になったのね、と自分で思っています。


( まぁ年齢的には大人になりすぎてるけどね。)



今日もひとつ、やらかして、


友人の誕生日を忘れてしまっていて、本人が居る前で、彼の隣にいた人に「今月、誰か誕生日の人っていたっけ?」と聞いてしまったのでした。(やっちまった!)


でも、「あ。」と気付いた次の瞬間、スルッと嘘が口から出てきました。


「あぁもちろん、貴方の誕生日は覚えてるわよ。私あしたケーキの予約をしに行くんだから。でも、誰かほかに居た?」。


「貴方の誕生日を私は忘れていないわよ、まさか私が忘れるわけないでしょ」という、自分のメンツを考えてが2割としても、


残りの8割は、相手の気持ちをおもんばかって傷つけないための嘘、だと思ってます。


でもこういう嘘って、人間関係を円滑にするためのもの…ですよね?(つまりこれも、社会的な嘘だよね。)





こんな嘘、スルッと上手に言えるのようになったのは、ここ最近のことです。


たぶん今日、周りにいた人全員、私が嘘ついたことに気が付いてないと思う。


つまり、いわゆる年の功、ってことでしょうか。


ま、でも、ある意味これも、旦那さんのおかげなんです。







誰かのためを思って嘘をつくこと、(あるいは自分で、社会で生きていくために必要だと判断して嘘をつくこと)は、


私は、旦那さんの処世術から学んだところが大きいです。


相手への話し方、視線や表現の仕方など、


彼は家が商人の出だったから、言葉遣いに独特の柔らかさと腰の低さがあって、


そのために、人付き合いの上手さや、他人からの好かれやすさがあった人です。



だから、どちらかといえば正反対の性格の私には、見習うべき点が多かった。


そして12年間、彼の言動をそばで見ていて、


そしてやっと遅まきながら、少しだけ習得できたのだと思うのです。


旦那さんには、まだまだ遠く及ばないけれど、


でも、大人らしい大人、格好良い大人であるために、


これからも日々精進だなと思っています。

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