いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

あなたと私の家

旦那さんの思い出がいっぱいの家だけど、


悲しさと寂しさが隣り合わせの家だけど、


帰ってくると、不思議なほどホッとします。


家に帰った途端に気持ちがふっと穏やかになります。



不思議なものだなぁ。


あなたとの別れの寂しさより、


テリトリーに戻った安心感の方が強いんだね。


動物の本能なのかもしれません。





旦那さんの大好きな飴を入れた瓶が


テーブルの上にずっと置かれたまんまになっていました。


緑色の個包装ののど飴です。


私はそんなに飴は食べないし、でも瓶を閉まってしまう気にもなれず、


誰も食べる人がいないから、ずっとそのまんまになっています。




賞味期限のあるものだし、食べないならそろそろ捨てなきゃね、と思うのだけど、


でも簡単に捨てるにはやはり忍びなく、


見るたびにちょっと困った気持ちになる、悲しい飴の瓶でした。




今日、とうとう、当座見ないで済むなら…との悪知恵で、


別の飴を、のど飴の上から入れてしまいました。


これでとりあえず、緑色の個包装は見えなくなり、


見るたび悲しい思いをしないで済むようになりました。


食べる人のいないのど飴を捨てる日を、少し先延ばしにできました。





旦那さんとの思い出は、決して無くなるわけではありません。


でも、この世にひとり残った私が紡ぐ日々の記憶が、


旦那さんとの思い出の上に、少しずつ少しずつ重なって積もってゆくのでしょう。


そして、私の中で旦那さんの記憶は、少しずつ薄れてかすんでゆくのかもしれません。


それと同時に、悲しさや寂しさも、少しずつ薄れてかすむのかもしれません。




時間の経過とともに、旦那さんの記憶が小さく薄くなるのは、


ある意味やむを得ないことなのだと思います。


だけど、私が旦那さんと過ごした月日から得た多くのものは、


私の中にずっと残ると信じています。




旦那さんが私に教えてくれた、生きることを楽しむ心。


旦那さんが私に教えてくれた、人を信じるという心。


旦那さんが私に教えてくれた、自分自身を信じる心。


これらの気持ちは私の中で、


亡くなったことで、逆に強まりつつあるのを感じています。


ありがとうね。旦那さん。


大好きだよ、私の愛する旦那さん。

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