いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

もどりつつある日常

テレビで言ってました、もどりつつある日常………だってさ。


コロナも少し落ち着いてきて、今日はとうとう死亡者がゼロになり、


ショッピングもグルメも観光もレジャーも何もかもが、


2年弱の期間を経て、やっと日常を取り戻しつつあるそうな。




ふん、と思ってしまいます。


私には、決して日常なんて戻ってきません。


コロナが流行り始めた頃と、旦那さんが少しずつ元気を失い始めた頃がちょうど同時期なので、


私にとっては、コロナが流行る前後で、生活が全く異なったものになっています。


そして、私の場合、以前の生活は今後も絶対に戻ることはなく、


以前とは異なったままの生活を、ずっと続けていくほかないのです。




だから、ふん、と思ってしまう。


あんたたちは楽しめていいわよね、みたいな気持ちです。


しょうがないよ、と割り切ろうともしてみるけど、


いたるところで、復活を喜ぶ人々に出会います。


ムカつく現実から逃げたくて、休みの日は部屋に閉じこもるけど、


テレビのチャンネルを変えてみたり、ラジオをCDに変えてみたり、


心はなかなか休まりません。






急に話は変わりますが、


今日、テレビのリモコンのシリコンカバーを買い替えました。


スイッチやチャンネルなど、同じところばかり押すから穴が開いちゃうんですよね。


カバーを新しいものに取り換えて、


以前は旦那さんも触った、穴の開いた古いリモコンカバーをごみ箱に捨てる時に、


そこでやっぱり寂しい悲しい気持ちになってしまうのです。




旦那さんが触ったものなのになぁ、と思う。


もしかしたら指紋が付いてるかもしれないのに、なんて思ってみたりする。


そうやって、だんだん、だんだん、旦那さんの知らない部屋になって行ってしまいます。



なにか、旦那さんが居たころからの、今まで馴染みだったものを捨てる時、


必ずこの気持ちになります。


旦那さんを知っている品物たちなのに、と。




そうやって少しずつ、変わっていくんですよね。


部屋の小さな小物たちもですが、私自身も。


それを思うと、すごく寂しい辛い気持ちになります。

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