慰めと憐れみと共感と(2)
休みの日に慣れることが全然できません。
明日は休みだ…と思うとうれしいのに、
実際日が明けてみると、暗く落ち込んで夜を迎えることが大半です。
今日も、何度も涙が出てきました。
家にいればいたで、彼の座っていた椅子を見て思い出し、
使っていたお箸を見て思い出し、
たぶんもう使うこともない圧力鍋やホームベーカリーを見ては落ち込みます。
手作り料理をおいしいと言ってくれる幸せはもう二度と戻ってこないから。
外出すればしたで、
以前一緒に通った道を一人で運転すれば思い出し、
一緒に入った店の前を通って悲しくなります。
本当にいつになったら楽になるんだろう。
楽になってはいけない気持ちもあるんだけど、
この苦しみにはそうそう長いことは耐えられそうにありません。
彼がいなくなってまだそんなに日が経たないうち、
私は、こんなに苦しいのは自分だけだと思っていました。
以前テレビか何かで、
配偶者の死によるストレスは、ほかのストレスに比べてとても強い…
というのは聞いたことがあったけれど、
毎日の苦しさが尋常じゃないので、
私は感じ方がちょっと変なんだと思っていました。
友人が見るに見かねて
「ネットで何かヒントがあるかもよ」と教えてくれました。
初めて死別ブログを見つけた時、
本当に、本当に、本当に、救われた気持ちがしました。
この気持ちは、同じ経験をした人しかわかりません。…と思います。
ブログでは皆さんが自分の正直な気持ちを吐き出していて、
あぁ私だけじゃなかったんだ…ということに気づけて、
私はどれだけ救われたか。
今も苦しくなると、私は必ずこの死別ブログのことを思い出すようにしています。
そして、苦しいのは私だけじゃない…と思い返すようにしています。
そうすると、勇気が沸きます。
なんとかこの苦境を乗り越えられる気がします。
そして、私が拙いですが文章を書き、
読んだ誰かが何かの瞬間に思い出してくれたら、
こんなうれしいことはないなぁ…と思っています。
今日の話に戻ります。
遠方の、ここ最近あまり交流もなかった知り合いに、
ちょっと用事があって電話を掛けました。
そしたら、旦那さんが逝ってしまったことを知っていました。
この場で説明するのは難しいのだけど、
たぶん逝ってしまったことを知らないだろうなぁ…と思う人でした。
そんな人が知っていると、ちょっとうれしいものですね。
「みんなが旦那さんの死を悼んでくれているんだ」と思って。
旦那さんが東京にいたのはずっと前のことだけど、
みんなが旦那さんのことを覚えてくれてて、だから噂にのぼるんだ…と思ったら、
彼も喜んでいるんだと思います。