ごめんね。ごめんね。ごめんなさい。
家に帰って来て、録画をしておいたドキュメンタリーを見ていました。
3.11で犠牲になった方の遺族たちの話です。
12年経って今も心に悔いを残す…何名かの方たちのドキュメントでした。
『行方不明の幼い娘を探し続ける男性の悔い。
差し出した手をすり抜け、目の前で夫が津波に消えていった女性の悔い。
家族3人を家に残したまま、急ぎ出動した消防団長(当時)の悔い。
あの日から彼らは何を受け入れ、何を支えに生きているのか。そして、葛藤は…。』
彼ら彼女らの悔いは、私とは比較にならないほどの苦しみだと思います。
相手が大自然の驚異なのだから、人間一人が叶う相手ではないわけで。
第一、私たち人間には未来を見通す能力などないにも関わらず。
……でも、人ってそういう時、自分を責めてしまうものらしいです。
「私一人生き残ってしまって、ごめんなさい」。
そして、その画像をテレビ越しに見ていた私は、
「でもだって、別に、生き残る事が悪い事なの? 自分を責めることないでしょ」と。
旦那さんを失う前の私は、単純にそう思っていたのでしたが。
でも、旦那さんを失った後、
私も気が付くと、泣きながら「ごめんね。ごめんね。」と言っていました。
今でこそ回数は少なくなりましたが、
泣く度にやはり、旦那さんにごめんなさいと言ってしまいます。
私の場合は、事故や災害ではないから、
「生き残っちゃってごめんなさい」という気持ちではないです。
でも私の場合、
旦那さんの病変を気が付くことが出来なかったから、それに対する悔いの気持ちがあります。
そして他にも、ごめんなさいの原因として、
( 前にこのブログにも書いたことがあったけど、)
亡くなる何ヶ月か前に2人で出かけた神戸で、私が熱を出して、旅行の途中で帰って来ざるを得なくなったことも、
いまだに、ごめんなさい、のひとつになっています。
最後の旅行だったのに。楽しみにしていた神戸だったのに。その旅行を私が台無しにしてしまった。
私が万が一の時のために処方の頓服薬をバッグに入れていればよかったものを。
旦那さんは残念そうに、「今度の旅行では、ちゃんとクスリ持って行こうね」なんて言ったっけ。
今度の旅行はもう、無かったけど。
そんなことを思い出したら、
今ももう書いただけで、
心臓をグシャッと掴まれるような感じがします。(←これが私の最大級の後悔の感覚です。)
でもたぶんきっと、
そうやって後悔の気持ちを持つことで、
自分を何かから守っているような気がするんですが、
そんなことを考えるのは私だけ?
自分を後悔の気持ちで軽く苦しめることで、
何か大きなことが起こるのを防いでいるような気がするんですが、
それって、私の気のせいでしょうか。
書いていて、自分でよくわかってません。
とりあえず、よくわからないことを書いてしまって、ごめんなさい。