いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

幸せはもう戻ってこない

12回目の3.11は、ずいぶんいろいろな事を思い出しました。


休みだったから、なんでしょうね。


仕事の日だったら、気がまぎれますもの。


震災の起こった2時46分に黙とうをしたのは実は数えるほどなのですけど、


1分間まるまる黙とうをしたのは、多分初めての経験でした。




いろいろ思い出しました。


あぁ今ごろちょうど、ファミレスで旦那さんが上から覆いかぶさって私を守ってくれてる時だ、


とか、


地震で山側の道路に入れなくなっていて、今ごろ国道を走っている頃だ、とか。


(でも実際には、国道は走れませんでした。地震のせいで滅茶苦茶に混んでいて、


余りの混みように歩いたほうがよっぽど早い感じでした。)


さっきは夜の11時過ぎ、「あぁ、今ごろやっと家にたどり着いた頃だったね」。


私の転職のための面接が終わった後に旦那さんと落ち合ったものだから、


お互いが別々のクルマに乗って移動しており、


夜中にやっと家に辿りつくまで、二人とも各々ずっと自分のクルマの中で、


地震の情報をひとりで聞いていたのです。


特にあの時間帯は、確か気仙沼の被災の様子、


河口ぐちに広がった、船から漏れた油のせいで炎がずっと燃え続けている様子、が放送され続けていて、


これはもう、とんでもないことになった、と。


これから日本はどうなるんだろう、と。


家に帰って来て、とりあえず電気は大丈夫だったからすぐテレビをつけて、


気仙沼の、炎が燃え盛る海面の様子をずっとずっと見続けていました。




あぁ、あのときから12年が経ちましたか。


あの時はまだ、私はこの地には引っ越して来ていなかったわけだから、


旦那さんとの思い出の多くは、震災以降の事なのだけど、


それがとても不思議な気がします。


震災ってなんだかもっとずっと最近、4~5年前とかだったような気がするのに、


あぁもうそんなに経ったのですか。


だもの、私も歳を取るはずだ。


だもの、私を取り巻く環境も、(旦那さんが亡くなったことを含めて)すっかり変わるわけだ。


震災直後のテレビに映っていた小学生が、成人式を迎えちゃうくらいだものね。




でも、同じ3.11のテレビ番組で、被災された人が言っていたのだけど、


「幸せはもう二度と戻ってこない」という言葉が印象に残りました。


Eテレで、被災者が自分の言いたいことを画用紙にマジックペンで書いて、


それを読み上げる番組だったのですけど、


震災前の「幸せはもう、二度と戻ってこない」って。



でも一方で、


震災の津波でご家族合計4人を失った老夫婦が、


家族4名の遺影が並んでいるのを写真に撮って、


それを可愛いハート形のプレートに入れたものを肌身離さず持っていて、


同じものをもう一枚、クルマのミラーのところにもブラブラひっ掛けて、


いつも身近に拝んでいるのだそうで、


いろんな遺族がいるものです。



失った人や物を、どうとらえるか。


その思い出を越えて、その後どう生きていくか。


いろんな家族の生きざまが見えて、


とても感慨深い一日になりました。

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